あけましておめでとうございます。
皆様にとって、今年一年のスタートです。安心できる、幸福な生活を願っていることと存じます。
私も、平成15年の初当選から15回目の新年を迎えました。ここまで長く勤められたのは、市民のみなさんのご理解のたまものと改めてお礼申し上げます。今年も、皆様の暮らしに係る政策の推進に勤めます。
年頭所感: 普通に暮らせる普通のまちへ
減り続ける人口に打つ手なし
私が初当選した平成15年の選挙は、市長が石津賢治さんに代り、国主導の市町村合併が問われた頃でした。私は、選挙公報で「無原則な合併」から「自立に向けた改革」を主張しました。
その後、北海道夕張市の財政破綻が起こり、財政改革が叫ばれ、借金財政に苦言を申し上げました。私が議員として、北本市の将来に疑問を持ち始めたのが、人口減少でした。北本市は、平成17年の約7万2千人をピークに、人口減少が起き始めています。転入者を転出者が上回る社会減が起きたのです。
私は当時の石津市長に「この現象が3年続いている。これに少子化による出生者数の減少が加わると、人口減少が構造的に進み、回復が難しくなる」と指摘し、対策を講じるように注文付けました。こども医療費の無料化や少人数学級の導入など、目新しい政策を推進しましたが、人口の転出超過は止まらず、出生者数の減少は加速し、人口が増加している埼玉県においては、人口減少先進地になり、その脱却が最重要課題になりました。
人口減少視野に終の棲家へ
石津市長を破り新市長に就任した現王園市長は、人口減少対策を柱にした「第五次総合振興計画」を策定しました。しかしながら、依然まちの将来像が見えてきていません。
私は、五次総の策定特別委員会委員長でした。提案された計画案は、現状(因果)の分析が不十分で、これまでの誤りを繰り返す可能があると、策定のし直しを主張しました。
石津市長時代から10年以上にわたり、人口動態への視点が欠けたままです。もはや人口は全国的に減少期に入り、これからは人口減少を視野に、住民が「終の棲家」として安心して暮らせる世の中にすることではないでしょうか。
それには、これまでの「古いしがらみ」から、市民一人ひとりと「新しい絆」へ変えていくことです。一人ひとりの市民が声を出し、政治に注文付けることです。お任せ民主主義から、住民自治(政治を監視)の市政に変えることです。
北本市の未来に、危機感を持っている人もいるでしょう。私は政治家(議員)として危機感を強く認識しています。根拠のない「成長政策」でなく、地に足を付けた「普通に暮らせる、普通のまち」に成長させることではないでしょうか。今年も住民目線を貫きます。
普通に暮らせる世の中づくりフォーラムの開催
新春時論: 民衆の敵とは誰か
昨年、フジテレビで放映(10月から12月)された「民衆の敵」というドラマをご覧になりましたか。
ストーリーは地方都市の議員になった主人公が、議会の古い慣習と戦いながら市長になり、世論を二分する政策を市民との直接的な議論で解決を図ろうとした、地方政治の在り方に一石を投じたと言われている。
世の中おかしくないですか?
主人公の女性市議会議員、アルバイトより議員報酬に魅力を感じて突如立候補、運よく当選し初めて議会に出席、先輩議員の居眠りに抗議。そこから始まるこれまでの議会の不条理に、「世の中おかしくないですか?」と、義憤を力に市民目線の活動するというストーリーである。
その後、市長になり、産業廃棄物処理施設の整備に、市民と直接議論するため、「市民の議会」で賛成、反対を議論するというユニークな内容である。
その判断に、政治の先輩が「大勢の利益のためには、少数の利益を犠牲にすることも必要」という言葉に、それだけでない「少数の考えも尊重しなければ民主主義でない」と反論。そして彼女は、「民衆の敵は民衆の中にある」と言い出した。
民衆の敵は民衆の心の中にある
選挙に半分も行かない市民に、民主主義は存在しない。選挙に行かないで、政治を批判するだけでは何も生まれない。民衆の敵は、民衆一人ひとりの「心の中」にある。民衆の敵は、悪徳政治家ではなく、それを選ぶ民衆の側にこそあるのだ。
「市民の、市民による、市民のための政治」こそ、民衆による政治ということであると言う。さあ、政治を民衆の手に取り戻そう!「選挙に行っても何も変わらない」と選挙を棄権した人と、「いいまちにしよう、自分の利益を守ろう」と選挙に行った人によって、いまの政治ができているとしたら、私たちはどうしたらいいのか。
テレビドラマ「民衆の敵」は、その答えを出すのは、民衆(市民)であるといいたかったのか。そうだ!地方の政治について、考えてみよう。
選挙に行こう!声を上げよう!
地方政治の位置づけは、憲法で地方自治は「住民自治」と「団体自治」からなると規定している。そして、93条で議会を置くこと、その議員と団体の長(市長村長)は、直接住民が選挙で選ぶと規定した。これが、「住民自治」と言われている。
まちの政治を進める長と議員は、住民が選挙するわけであるから、選挙を棄権したり、人から言われるままに選んでは、住民のための政治にはならないことは明白である。
世の中おかしいと感じたら、政治を疑うとともに、選挙で誰をどう選んだかを、自分に問いかけてみよう。「敵は本能寺にあり」。われわれ市民(民衆)の「心」の中にあるのだ。
選挙に行こう。みらいを創る「選挙」に行こう。声を上げよう。政治を監視し、政治に声を上げよう。無関心は、民主主義を停滞させ、そして「民衆の敵」となる。民衆の敵は、我々の心にある。